2008 講談社現代新書
保阪正康 1939~
半藤一利 1930~
本書では、ありふれた五つのキーワードで「昭和」を点検する。
五つのキーワードとは、「世界の大勢」、「この際だから」、「ウチはウチ」、「それはおまえの仕事だろう」そして最後に「しかたがなかった」であり、いずれも受け身の言葉であるが、今でもよく使われていそうな言葉である。
半藤は、この五つのキーワードに関して対米英戦争に関する御前会議での永野軍令部総長の話をあげている。
「イ 重要軍事資材が日に日に涸渇し、このままで推移すれば、ある期日後に海軍は足腰立たぬ状況になる。
ロ 米英側の準備は非常な急速度で進歩しはじめ、日を経るに従って日本にはとるべき方策がなくなる。
ハ 対米戦は長期戦で日本に完全に不利である。
二 日本が緒戦で南方資源を獲得し得た場合、対米の長期戦に対応できる。しかし、その見通しは、残念ながら日本に終戦の主導権がなく、世界情勢(ドイツの勝利)によって決定される。
ホ このたびの作戦は、(1)緒戦で迅速な勝利をおさめること、(2)そのため開戦時期を選び、(3)先制奇襲を必要とする。
御前会議において永野総長は以上の五つのことを強調した後に、さらに質問に答えて『・・・海軍としては作戦持続の確算は二ヵ年しかいえない』と正直な目算をつけ加えた。そしてこういった。
『戦わざれば亡国、戦うもまた亡国かも知れぬ。前者は魂まで失った真の亡国、後者ならば・・・児孫は再起するだろう』
こうして対米英戦争の戦略の総大将である永野大将は、『海軍は対米戦争に反対である』と主張することもなく、むしろ『戦うならば早く決意を』といったのである。」(p223)
「・・・こうした永野総長の対米戦争宿命論の背景には、この暗雲に戦闘的であった中堅の圧力があったからといっていいい。思えば、国家最大の危機のとき、広い世界的視野もなく、あなた任せで、状況追随の、あまりといえばあまりな総大将を頭に戴いていたものよ、といまは歎くほかはない。」(p225)
当時の軍部は、国民に本当のことを知らせることなく対米英戦争やむなしとの世論を煽ったため、自ら引っ込みがつかなくなった。
そのため勝ち目のない戦争を「しかたなく」せざるをえなくなってしまった。
ペリー艦隊によって開国をせまられて以来、つねに世界に対して受け身であり、かつ少し遅れて動き出すのが日本の行動パターンであった。
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