2011年7月14日木曜日

種村季弘 雨の日はソファで散歩

2005 株式会社筑摩書房

1933~2004

七転び八起きの町へ

「ごろごろしているうちにふと新宿に行きたくなった。かれこれもう十年ほど新宿にはご無沙汰している。真鶴の家から小田原に出てロマンスカーで一時間十分。ちょっとした通勤距離程度なのにここ何年か新宿の顔を見ていない。いつの頃からふっつりと夜遊びをやめてしまったからだ。」(p100)

パソコンで路線検索をしてみると、小田原から小田急ロマンスカーを利用すると1時間16分、1720円。新幹線で東京に出て、新宿へ行くと1時間1分、3130円だが、東海道線で品川まで行くと新宿まで1時間43分、1450円とでた。
小田急でも、ロマンスカーでない急行を利用すると、1時間34分、850円となった。
こうしてみると、小田原付近の住人は、新宿へ行くのに小田急線を利用している人が多いのではないかと思う。
同様に、藤沢から新宿へ行くのには、直通の小田急快速で56分、570円であるが、東海道線で行くと1時間5分、950円である。最近できた湘南新宿ラインを利用しても、52分かかる。
小田原からばかりでなく、藤沢から新宿へ行くのにも、小田急を利用したほうがJRよりも得なわけである。

新宿と言えば、東京でも有数の繁華街で、東京の市街が西の方へ発展していくと同時に大きくなった、すなわち中央線沿線を後背地にするというイメージが強い。しかし、小田急線沿線からやってくる人もかなりの数になることだろう。

その新宿であるが、江戸開府当初は、東海道の品川、中山道の板橋、日光街道・奥州街道の千住、甲州街道の高井戸を江戸の四宿と言った。このうち五街道の出発点である日本橋から高井戸までは四里八丁あり、他にくらべて距離がありすぎるので、その間に新たに中宿を設けた。それが新宿である。
そこへ浅草から遊郭が移って来て、にぎわった。その後も、遊郭がとりつぶしになったり、大火にあったりしては再興された。
戦後の新宿も、ヤミ市ができたり、歌舞伎町が無法地帯になったりと、激しい変化を繰り返した。
たしかに、七転び八起きの町にはちがいないが、激しい変化に取り残された老人にとっては、思い出の町になっていく。

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