「日本のソフトウエア産業はなぜだめなのか」を読み返してみると、日本のソフトウエアがすべてダメだと言っているわけではないことがわかる。ゲームなどのソフトはいいが、政府が主導した産業政策としてのソフトはダメだと言っているらしい。さらに、著者は、ソフトウエア産業はダメだというより、ソフトウエア産業はダメになったと言いたいらしい。これ自体、その真偽は明らかではないが、日本のソフトウエア産業は、今ではアメリカ勢に比べることすらできないのではないかと素人にも思われている。
想像を巡らせば、かってコンピューターといえば、非常に高度な技術を要し、専門家にしかわからないと思われていた。
その頃、政府も、企業も、コンピューターの技術者を優遇し、自由に研究開発をさせた。
その結果、日本は、一時的には、アメリカのIBMに追いつき、日本人の優秀さを示すことができた。
しかし、それらが一段落して、官庁や銀行などの大組織で大型コンピューターが使われるようになると、巨額なカネが動くようになり、コンピューターのことをよく知っている人間ではなく、それに代わって、「交渉」とか「人脈」を得意とする人間が幅をきかせるようになっていった。
こうして、コンピューターを官庁に納入する企業は「ITゼネコン」などと呼ばれるようになってしまったらしい。
それと同時に、ソフトウエアの専門家が下請け化して意欲をなくしているということも、たしかに、ありそうな話である。
大企業では、優秀な人間がたくさんいるはずであるから、創造的な技術を持った人たちが、大企業から飛び出して、ベンチャー企業を立ち上げたりすれば、日本のコンピューター産業も活性化しそうなものである。
政府がするべきことは、そうしたことを可能にする環境を作ることであるように思われる。
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