2007 日経BP社
1953年生まれ
日本のソフトウエア産業はなぜだめなのか
日本のソフトウエア産業は、初期から政府の手厚い保護と指導のもとに置かれてきた。
1960年代には、通産省はIBMの参入を遅らせ、電気メーカーを糾合して、IBM互換機を作らせた。
その後も、第5世代コンピューター、シグマ計画など、官民プロジェクトに多額の補助金を投入したが、すべて「失敗」した。
そのいっぽう、日本の社会の本流からはずれたところで三度の飯よりゲームが好きだという人たちがつくったゲームソフトは成功した。
ソフトウエアも、役所が保護した分野は失敗し、役所も大手メーカーも無視した分野が成功した。任天堂やソニーのゲーム部門は、80年代以降にできたので、重厚長大産業のようなピラミッド型組織ではなく、小さな若いソフトハウスの連携によって多様なゲームソフトが開発された。
大事なことは、日本人の持っている創造性を下請け・孫請け型の「ITゼネコン」構造に埋没させないで、自由に発揮させることである。技術者のモチベーションを引き出し、彼らのアイデアをビジネス化して、多様な実験を可能にすることである。そのためには、役所やITゼネコンが退場することが必要である。
明治以来、日本は行政に権限と情報を集中し、民間の資源を総動員して「富国強兵」をめざす国家体制をとってきた。こうした集権的な統治機構は、追いつき型近代化の局面では一定の効果を上げたが、民間企業だけで問題を解決することを妨げてきた。
霞ヶ関には、いまだに富国強兵の遺伝子が強く残っている。このような「国のかたち」を見直し、資本市場や司法改革によって、問題を民間で分権的に解決する制度設計を行なうことが日本の課題である。経済産業省が音頭をとって「産業政策」を推進するのはやめたらどうかというのが、著者の意見である。しかし、著者も言っているように、役所の力が弱くなるような改革を官僚自身が行うことは困難であろう。
(注)ITゼネコン
公的なコンピューター・システムの受注額の4分の3は、わずか6社で占められ、こうした企業は、建設業のゼネコンとくらべて、「ITゼネコン」と呼ばれている。
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