2011年5月24日火曜日

辛坊治郎 辛坊正記 日本経済の真実

2010 株式会社幻冬舎

辛坊治郎 1956年生まれ
辛坊正記 1949年生まれ

現在の日本経済の低迷ぶりを嘆き、戦後復興期の日本は、とても元気だったと、昔をふりかえる人は多い。
完成間近の東京タワーを背景に「三丁目の夕日」が日常で、誰もが明日は今日よりきっと豊かで幸せになれると信じていた。東京タワーは1958年に完成し、1960年には池田内閣が「国民所得倍増計画」を打ち上げ、洗濯機、冷蔵庫、テレビという「三種の神器」が家庭に普及し、1964年の東京オリンピックを控えて首都高速道路、東海道新幹線が開通した。
1968年には、日本はアメリカに次ぐ世界第二位の経済大国となり、1970年の大阪万博には大勢の入場者が列をなした。
「モーレツ社員」や「企業戦士」という言葉がはやり、「受験戦争」のなかで、日本の学生の学力は世界一だと自慢した。
「高度成長時代」には、国民は、自信と向上心にあふれていた。

しかし、同時に、この時代は、国鉄、電々公社など、民営化されておらず、仕事は不効率で、サービスも悪かった。
労働組合が強く、労働組合に支持されていた社会党は、社会主義を目指していた。
1960年の「安保闘争」から1970年頃まで、今では死語となってしまった「全学連」や「全共闘」の「学生運動」の嵐が、全国の大学を吹き荒れた。
大蔵省、通産省などの官僚の力は、今よりずっと強く、事実上、統制経済、計画経済であった。
日銀はもちろん、「日本興業銀行」などに入るのは超エリートであった。
このころの日本は、1ドル360円の固定為替レートで、日本人には、輸入品は高級な「舶来品」で、めったに買えず、ひたすら輸出に励んでいた。海外では、中国は、いまの北朝鮮のように、はるかに遠い国であったし、アラブ諸国も砂漠の遊牧民にすぎなかった。
このように、今になると、あの時代を美化しがちであるが、その当時の国民は、不満が多く、けっして満足していたわけではない。

その後、あまりにも多くのことが変わってしまったにもかかわらず、当時の気分や考え方は、いまだに残っている。
「経済の豊かさより心の豊かさのほうが大切」と言う人は、これからも日本を豊かな国でありつづけると思っている。
「外資に日本が乗っ取られる」と言う人は、外国人の日本たいする投資によって日本の雇用が生まれ、消費が増えることを理解しない。
とりわけ人数の多い「団塊の世代」は、若い頃、もてはやされた記憶が消えず、いまだに自分たちを、世の中の中心だと思っている。
「団塊の世代」が退場するころには、日本は、かなり違った国になっていることであろう。

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