2020年5月6日水曜日

みずほ銀行システム統合、苦闘の19年史

2020年 日経コンピュータ

みずほ銀行は、1999年、日本興業銀行、富士銀行、第一勧業銀行のトップが合併を決めて誕生した。
現代の銀行は、巨大なシステム産業であり、装置産業である。
そのため、大銀行の合併となると、そう簡単ではないことが予想される。
しかし、銀行のトップは、ITに関してはそれぼど知識もなく、深刻に考えていなかったのかもしれない。
日本興業銀行は日立、富士銀行はIBM、第一勧業銀行は富士通のシステムを、それぞれ使っていた。
そのうち、第一勧業銀行は、富士通のメインバンクであり、結びつきが強かった。
そのため、第一勧業銀行のトップは、富士通のシステムを残すことに強くこだわっていた。
システムの統合は難航し、結局、旧銀行のシステムは残したまま、新たにリレーコンピューターを導入することになった。
この間のゴタゴタが、合併当初2002年のシステムトラブルを招いた。
その後、旧第一勧業銀行・富士通のシステムに旧富士銀行側も合わせることで、運用していた。
ところが、2011年、東日本大震災の際、多数の義援金振り込みが特定の口座に集中したため、システムが停止し、原因の究明に時間がかかり、ATMが数日間も使えなくなり、振り込みもできないというトラブルが発生した。
この時は、金融庁から業務改善命令を受け、世間から激しい非難を浴びた。
これに対して、みずほフィナンシャルグループは、システムを初めから全面的に作り直すことにした。そのため、膨大な時間、金、人財が費やされ、何回も土日にATMを止めてテストが繰り返された。
そして、2019年に新しいシステムが完成し、経営者は、これでようやく”One MIZUHO”になったと胸を張る。
これからは、支店の統廃合も容易になり、事務担当者やシステム要員も減らすことができるという。
余った人員は、営業やコンサルティングに回すと言うが、はたして、そんなことができるのだろうか。
(ここで言っている「システム」とは、「勘定系システム」のこと。また、2011年のシステムダウンは、富士通のコンピューターの性能が劣っていたというわけではない。)

2019年12月6日金曜日

上級国民/下級国民  橘玲

2019 株式会社小学館

「上級国民」「下級国民」という言葉が流行っているらしい。
いろいろなニュアンスがあるようだが、単に金持ちか貧乏人かというのであれば、日本では、少数の金持ちと多くの貧乏人との格差がますます拡がっている。
これは、世界的な現象である。
現代の社会は、コンピューターが急速に発達し、人々は自由になり、グローバル化が進んでいる。コンピューターの発達は、人々を単純作業から解放するばかりではなく、多くの仕事を奪っている。その結果、人々は、残された「人間にしかできない仕事」にシフトするようになる。少数の「知的でクリエイティブな仕事」か、多数の「人と接しなければならないが低技能・低賃金の仕事」かである。
誰もが自由になり、どのような職業にでもつくことができるようになった。
たとえば、漫画家にでも自由になれるが、漫画家で成功できるのは、ほんの一部であるから、残りの大部分は、貧困になる。それでも、自分で選んだのだから自己責任であると言われる。
グルーバル化が進んで、日本の労働者は東南アジアや中国の労働者と競争しなければならなくなった。外国から安い製品が輸入されるだけでなく、外国人が日本にやってきて、日本人と競争するようになった。地球規模では豊かになっているとしても、多くの日本人にとっては、以前より、貧乏になりつつある。
アメリカでも、同じような状況がすすんでいて、トランプ大統領の最大の支持者は、貧しい白人であるといわれる。なぜ、貧しい白人が、大金持ちのトランプを支持するのか理解するのは容易ではない。
日本で貧しくなりつつある人たちが、社会に原因を求めようとはせず、自己責任論を支持し、嫌韓・反中にはしるのは、アメリカの貧しい白人が移民を嫌悪するのに似ている。
今の社会から利益を得ていないと感じている「下級国民」にとっては、
自分より恵まれて見える人たちを、「上級国民」と言うのかもしれない。
「下級国民」から見ると、医療費を優遇されている高齢者も、憤りの対象になるらしい。

2019年11月3日日曜日

平成経済衰退の本質 金子勝

2019 岩波新書

「失われた30年」は、成長から衰退への道のりである。
初めの10年は、バブル経済が崩壊し、その後始末に費やされた。
次の10年は、小泉内閣による「構造改革と規制緩和」によって、貧富の格差が拡大した。
最後の10年は、民主党政権による素人政治のあと、安倍第2次内閣が誕生した。
安倍総理は、「デフレに苦しんできた」と言って、デフレからの脱却を目指し、「アベノミクス」と称する経済政策を採用した。2%の物価上昇を目指すと言っていたが、達成される見込みはない。
何が悪かったのかということになると、「小泉や安倍がバカだ、無能だ」と言うのは容易である。しかし、小泉や安倍のような人は、「フツーの人」ではない。
「フツーの人」は、総理大臣になりたいなどと考えないが、彼らは、「総理大臣になりたい」と本気で考える。若いうちから、「先生、先生」と、もてはやされる。
彼らの仕事は、細かいことや複雑なことを考えることではない。
なるべく多くの人と会って話を聞き、顔を売るのが仕事である。
たとえば、経済政策などは誰か他の人物に考えさせるしかない。
そこで、登場するのが、小泉内閣で言えば、竹中平蔵である。
「アベノミクス」では、イェール大学の浜田宏一、ノーベル経済学者のポール・グルーグマン、経済学者で後に日銀副総裁になった岩田規久男、それに、日銀総裁になった黒田東彦などである。
彼らは、「リフレ派」と呼ばれていて、日銀総裁が「2%の物価上昇を目指す」と言っただけで、何もかもうまくいくと主張していた。
こういう安易な考え方に乗ったのが、安倍晋三である。
「アベノミクス」がうまくいっていると考える人は多いわけではないが、安倍首相に「じゃあ、どうすればいいのか?」と言われて答えられる人もいない。
物価がそれほど上がっていないのも、かえって幸いである。
もし、毎年2%も物価が上がったら、安倍政権もこうまで長くは続かなかっただろう。
それにしても、30年は非常に長い。
その間に、ユニクロ、楽天などの経営者は「フツーの人」から大富豪に変身した。
渋谷や六本木の超高層ビルは、スマートフォンのゲームやインターネット広告を取り扱うIT企業に占められるようになった。
衰退しているといっても、うまく立ち回る者もいるわけである。

2019年10月20日日曜日

平成はなぜ失敗したのか 野口悠紀雄

2019 幻冬舎

年号または元号は皇位の承継があった場合に改めることになっている。
現代の天皇は、日本国を統治しているわけではない。
だから、「平成は失敗した」という言い方は、適切な言い方ではない。
それでも、「失われた30年」という言葉とともに、しばしば耳にする。
こういう事を言う人は、たいてい年寄りである。
その間に生まれた人たちも、すでに30歳に達していて、なかには優秀な人も出ている。
また、その間に大学を卒業して、大企業に就職できなかった人も多いと聞く。
年寄りと若者の断絶が深まるのも無理はない。

なぜ「平成は失敗した」のかというと、ちょうど平成の始まりが、「バブルの崩壊」とほぼ重なるからである。
「バブルが崩壊」してから30年が「失われた30年」ということになる。
「バブルが崩壊した」というのも、わかりやすい言葉である。
その当時、人々は、バブルが崩壊したのだから、がまんしていれば、やがて平常な成長軌道に戻るだろうと考えた。
しかし、世界では、大きな変化が起きていて、日本は取り残されてしまった。
もっとも、日本だけではなく、ヨーロッパやアメリカのような先進国でも、同じようなものだったろう。
昔から、「日本は、資源の乏しい国だから、原料を輸入して加工し、輸出で稼がなければならない。」とか、「日本人は、手先が器用だから、モノづくりに向いている。」とか言われてきた。
しかし、力をつけてきた資源国は、石油や鉄鉱石を安く売らなくなった。
円高や、国内のコスト高のため、輸出でも、中国や韓国に勝てなくなった。
バブルが崩壊したのだから、その原因を作ったとされる銀行や証券会社が破綻するのはわかる。
しかし、強かったはずの、鉄鋼会社や電機会社までも、軒並み凋落してしまった。
なにが悪かったのかは、個々に異なるのだろうが、変化への対応ができなかったことになるだろう。
なにか新しい産業の登場を待つといっても、絵に描いた餅になりかねない。
古い産業であっても、常に変わりつつある世界経済に対処するよりなさそうである。

2019年6月16日日曜日

日本会議の研究 菅野完

2016 扶桑社新書

  「日本会議」は安倍政権を支えていると言われている。
  「日本会議」には、神社関係者、国会議員、大学教授、元最高裁判所長官など、日本の保守階層のお歴々が名を連ねている。
  しかし、本書によると、真に日本会議を動かしているのは、50年ほど前、長崎大学などで活動していた、かっての右翼学生運動家である。
  彼らは、「成長の家」という宗教団体の創始者である谷口雅春の教えを信奉している。
彼らが、様々な右派団体に働きかけ、「日本会議」を作り上げたのである。
異なる宗教団体を、一つにまとめるキーワードが「憲法改正」である。
他の点では異なるけれども、「憲法改正」という点では共通する右派団体の集まりが「日本会議」である。
  なぜ憲法を変えなければならないのか。
今の憲法は、アメリカが日本を占領していた時、日本を弱体化し、二度とアメリカに逆らえないようにするため、日本に押し付けたというのが、彼らの共通認識である。
だから、押し付けられた憲法ではなく、自主憲法を制定しなければならないことになる。
具体的にどのように改正するのかでは一致しているわけではないが、アメリカに負ける前の日本を取り戻すのだとすれば、明治憲法の「復元」が最終目標ではないかと疑われる。
  戦前・戦後を通じて、日本の右翼は共産主義や社会主義に対抗し、「反共・愛国」を旗印にしていた。
だが、ソ連が崩壊し左翼が弱体化すると、敵を見失った右翼も行き場を失った。
そこで、「憲法改正」という目標を掲げて、再出発したのである。
  「憲法改正」は、かって岸信介が果たせなかったもので、孫の安倍晋三の大きな目標になっている。
今のところ、安倍内閣と日本会議とは、互いに利用しあっている。

2019年6月9日日曜日

在日朝鮮人 水野直樹・文京洙

2015 岩波新書

  日本の敗戦直後、朝鮮人は自らを開放された民族であると思い、無軌道な行動に走る者も多かった。警察も取締りには及び腰で、日本のヤクザと朝鮮人との抗争が頻発していた。
46年の総選挙では、戦前に内地戸籍を持たなかった朝鮮人は有権者から除外された。
47年には、最後の勅令として「外国人登録令」が制定され、在日朝鮮人は外国人と見なされた。
52年の講和条約の発効にさいして、旧植民地出身者は日本国籍を失うことになり、外国人登録証の常時携帯と指紋押捺が義務づけられた。
日本国籍を失った在日朝鮮人は、国・自治体などの公共機関に職を得ることができなくなり、当初は、ほとんどの社会福祉制度でも適用外とされた。
 在日朝鮮人は、差別されこそすれ、「特権」などはないように見える。
それにもかかわらず、なぜ「在日特権」という言葉が横行するのか。
在日朝鮮人は、企業に就職することが難しいので、パチンコ店や焼肉店の経営、プロスポーツ、芸能界などへ活路を見出した。これらの職業で成功し、裕福になった在日朝鮮人が目立つのも事実である。
日本の税金は、申告納税が基本になっている。
ここで、会社に勤めている者は、給料から天引きされるので、税金をごまかすことはできない。いっぽう、パチンコ店や焼き肉店は、申告所得を少なくして、税金を減らすことは容易である。
脱税や節税のやり方は、在日朝鮮人の商工団体などが指導したり、代行しているらしい。
 近頃では、日本社会の多国籍化が進んでいるので、在日朝鮮人を含め、外国人に対する見方も変わっている。
日本国籍取得(帰化)者も増え、「在日朝鮮人」は減りつつあり、中国人のほうが多い。

2019年5月27日月曜日

2019年4月1日月曜日

戦後日本の闇を動かした「在日人脈」 森功ほか

2013 株式会社宝島社

    日本における外国人登録者数は、2012年末現在で200万人ほど。
そのうち中国籍が65万人、韓国・朝鮮籍が53万人である。
戦前は、朝鮮半島出身者の国籍は「日本」であったが、1947年に「朝鮮」となった。さらに1950年に「韓国」という表示が認められた。
日本における在留資格は「特別永住者」である。
1945年時点で日本にいた朝鮮人は240万人で、多くは帰国したが、種々の事情により、50数万人が帰国を見合わせた。
50年に朝鮮戦争が勃発すると、さらに帰国が困難となり「在日コリアン」として今日に至っている。

  在日コリアンの団体は、北朝鮮系の「朝鮮総連」と韓国系の「民団」がある。
都道府県別では、多い順に大阪、東京、兵庫、愛知、神奈川、京都などである。
在日コリアンは、日本の社会で差別を受け、選べる職業に制約があったが、経済的に成功した人も多い。特に、パチンコ、焼き肉などは民族産業と言われている。
プロスポーツや芸能界でも活躍している。

  巷の噂によると、日本の裏社会は、「やくざー同和ー在日」によって支配されている。
やくざ(暴力団)の幹部にも在日コリアンが目立つ。
「やくざ」は、警察の取り締まりの対象であるから、多くは右翼政治団体を名乗っている。
「右翼」ということになると、日本の保守政治家との太いつながりも連想される。

  戦後、韓国への巨額の経済援助などにからみ、「在日」、保守政治家、大物右翼が暗躍した。そうした人脈を利用して富を築いた在日コリアンもいるらしい。
ただ、「ネトウヨ」(ネット右翼)が主張するような「在日特権」というものは存在しない。
日本国籍取得者(帰化者)は、在日3・4世の結婚や就職などを転機として、増え続けている。

2019年3月23日土曜日

「右翼」の戦後史 安田浩一

2018 株式会社講談社

    社会には矛盾や問題が山積している。
これを解決するため、「左翼」は社会主義や共産主義に頼ろうとする。
それに対して、「右翼」は  伝統と愛国、天皇を最重要視する。
「右翼」は、直情的で、しばしばテロや暴力という直接行動に訴えることが多く、暗いイメージを抱かれることが多い。

    戦時中は、日本全体が国粋主義という「右翼」そのものであった。
戦後は、敗戦と天皇の人間宣言とによって、右翼も自滅した。
しかし、共産主義や社会主義勢力が台頭してくると、これに危惧を抱いた
保守勢力によって、「反共」を旗印とする「行動右翼」や「任侠右翼」が登場した。
黒塗りの街宣車に代表されるのが、それである。
このような「右翼」も、「左翼」による「安保闘争」や「学園闘争」が終わると、同時に勢いを失った。

     最近、注目されているのが、「日本会議」と「ネット右翼」(ネトウヨ)である。
「日本会議」は、過激な行動をするようなことはない。
そのかわり、各界の著名人や、保守政治家、神社など宗教関係者がメンバーとして名を連ね、層が厚い。
現行憲法の改正を主張し、安倍総理の政策にも大きな影響を与えている。
「ネット右翼」(ネトウヨ)は、ネット上の掲示板から生まれた。
無責任に嫌韓、反中のヘイトスピーチを叫ぶのが特徴である。
「日本会議」や「ネット右翼」は、日本社会の「右傾化」と呼ばれる時代の流れのなかで生まれるとともに、そういう空気をつくりあげるのにも効果を発揮している。

    「右翼」が目指すのは、戦後の諸制度の否定である。
戦後民主主義のもとで培われてきた、自由、平等、人権といった価値観が危機にさらされかねない。
また、これからの時代は、外国人労働力に頼らざるを得ず、外国人との共生が課題になるが、右翼の排外主義が、思わぬトラブルを起こすのではという懸念もある。

2019年1月13日日曜日

安倍政権は本当に強いのか 御厨貴

2015 株式会社PHP研究所

安倍総理は、「戦後レジームからの脱却」をキャッチフレーズに、「強い日本を取り戻す」と言う。東京裁判も「A級戦犯」も認めず、靖国神社に参拝するのが悲願であった。
しかし、中国だけでなくアメリカの強い反発も招いたので、とりあえず引っ込めてしまった。
そのかわり、「集団的自衛権」と憲法の改正に意欲を燃やすことになった。
「集団的自衛権」は、現行憲法の解釈を変更することで可能となり、いよいよ、憲法の改正に向けてラストスパートをかけようとしている。
安倍総理のような考え方は、すこし前までの日本では、かならずしも一般的なものではなかった。
しかし、今は強い反対も起こっていない。
はたして、安倍政権は、本当に強いのであろうか。
そこで、安倍政権が強い理由をいくつか挙げてみる。
まず、自民党以外の野党が弱体である。
次に、自民党も弱くなっている。
自民党が弱くなったのは、かってのように、地元に金をばら撒くようなまねができなくなった。
小泉純一郎が、「自民党をぶっ潰す」と言って、有力な派閥を無力にした。
やはり、小泉純一郎が、反対派を「抵抗勢力」と見なし、選挙区に「刺客」を送り込み、当選できなくした。
この手法を安倍総理も踏襲したので、自民党内で安倍総理に逆らうものはいなくなってしまった。
以前なら引退していた麻生太郎のような長老も、閣内に取り込んだり役割を与えた。
こうして、自民党ではなく官邸主導で政治を動かすことができるようになった。
問題が起きると、菅官房長官が、優秀な官僚や学者を集めて、会議を開き、すばやく行動する。
菅官房長官が抜け目なく対応しているので、安倍総理は、外交や憲法の改正に専念できる。
二度目の安倍政権の特徴として、「アベノミクス」と称する経済政策が挙げられる。
「物価目標2パーセント」と言うが、金融政策では日銀は政府から独立していることになっているので、たとえうまくいかなくても、政府は責任を負わないし、いくらでも言い訳できる。
今の日本では財政制約が厳しいので、誰が総理大臣になっても、目新しい政策を打ち出すことはできない。
国民も、たびかさなる短期政権に、うんざりしており、安倍政権なら今のところ無難なのではと思っている。
以上が、「安倍一強」の理由であるが、安倍総理が国民をどこに導こうとしているのかは、はっきりしない。

2018年12月29日土曜日

自民党と創価学会 佐高信

2016 株式会社集英社

自民党と公明党=創価学会とは、まったく異質な政党である。
それにもかかわらず、「自公連立政権」が続いている。
昨日まで敵であった者が、今日からは友達というのだから、それはなぜか、たしかに興味深い。
要するに、お互いに理由があって相手を利用しようということであろう。
自民党の側では、もはや自民党単独では議席を取れないから、公明党を利用しようとする。
公明党の候補者がいない選挙区では、創価学会員が自民党の候補者に投票してくれれば、自民党に有利である。
公明党=創価学会の側では、自民党の暴走を政権内部でチェックするという理屈がある。
ここで創価学会とは、どういう宗教団体かといえば、ようするに池田大作名誉会長の言いなりの団体である。
かっては「折伏」と称する執拗な勧誘を行うことで嫌われていたが、今ではそれもないらしい。
学会員の間での助け合いの団体のようになっており、宗教的な深みはないが、聖教新聞を売ったり、寄付金などをこなすのが学会員の務めになっているらしい。
池田名誉会長も、非常に高齢になっており、表面に出てくることもなくなっている。
公明党が政権内部にいれば、役人の創価学会に対する「忖度」というものが働くことがありうる。
税務当局は創価学会に対して厳しくはできないだろうし、文部科学省は創価大学を優遇せざるをえないのではないだろうか。
自民党は、池田名誉会長の名誉欲と権力欲を満足させるよう計らっているのかもしれない。

靖国神社 島田裕巳

2014 株式会社幻冬舎

政治家が靖国神社へ参拝するとき、「国のために命を捧げた英霊に対し尊崇の念を表すため」と言うが、何が問題になるのだろうか。
まず、靖国神社には戊辰戦争での「官軍」に所属していた者だけが祀られているので、「賊軍」側の怨念がいまだに解消されていない。
つぎに、靖国神社にはA級戦犯が祀られている。A級戦犯とは、東京裁判において東条英機など戦争指導者とされた者である。
東京裁判の背景にある歴史観は、あの戦争に対する責任は、日本人全体にあるのではなく、一部の軍国主義者にあるというものである。
一部の軍国主義者が国民を誤った方向に導いたのだから、彼らは戦争責任を負う「犯罪者」であるという見方である。
こうした歴史観は、アメリカ、中国ともに共通しており、日本もサンフランシスコ講和条約で認めたことになっている。
それならば、「犯罪者」を祀った靖国神社に、政治家とりわけ総理大臣が参拝するのは許されないということになる。
それに、今では政治と宗教は切り離されているのだから、総理大臣が神社に参拝するというのはおかしいのである。
それでも政治家が靖国神社へ参拝したがるのは、彼らを支持する人たちがいるからである。
主に、戦没者遺族や旧軍関係者などであろう。
彼らは、東京裁判も認めず、あの戦争が侵略戦争だったということも認めようとしない。
ただ、戦没者遺族にしても、旧軍関係者にしても、非常に高齢化しており、人数も減っていくばかりである。
政治家にしても、支持者が減っていくのに、わざわざ靖国神社へあえて参拝する理由もなくなっていく。
このまま戦争もなく、靖国神社関係者も騒がなければ、それほど話題に上ることもなくなるのかもしれない。


シルバー・デモクラシー 寺島実郎

2017 株式会社岩波書店

デモクラシーと言えば、選挙による多数決が思い浮かぶ。
ここで、今の選挙では、投票率は有権者の50%くらいなものである。
すなわち投票者の過半数とは有権者の25%以上ということになる。
いっぽう、高齢者の比率は、人口全体の25%から30%である。
しかも、投票に行くのは、高齢者のほうが若者より多い。
今の選挙によるデモクラシーとは、高齢者による、高齢者のためのデモクラシーと言ってもいい。
今は自民一強のように見えるが、自民党の支持率は、有権者の30%台である。
高齢者によって支持されている自民党が、小選挙区制のためもあって国会において多数を占めているのらしい。
それでは、高齢者というのはどのような人たちなのだろうか。
高齢者とは、いまや戦後生まれのいわゆる団塊の世代である。
団塊の世代は、戦後の平和と経済的発展の恩恵をフルに享受してきた世代である。
若い頃は、「僕らの名前を知っているかい、戦争を知らない子供たちさ。」とか「問題は今の雨、傘が無い。」などと歌って浮かれていた。概して、軽薄で無責任、将来世代だとか将来の日本など考えているのか疑問である。
それに、高齢者というのは、生きてもせいぜいあと10年か20年だなどと考えているかもしれない。
こういう高齢者が政治を動かしている。
高齢者が望むのは、現状維持である。税金が上がるのにも反対だし、もちろん物価が上がるのにも反対である。
安倍政権の経済政策はアベノミクスと言われているが、成功したとしても失敗したとしても物価は上がる。
アベノミクスも、もう6年やっている。そろそろ、賞味期限が迫ろうとしているのではないだろうか。

2018年12月7日金曜日

小布施

長野電鉄小布施駅

妙高山

2018年9月13日木曜日

2018年8月5日日曜日

神秘日本 岡本太郎

2015 角川文庫

岡本太郎は、一筋縄ではいかない。
美術とは美を追求するものであるかといえば、岡本太郎にとっては、そうではない。
ただ美しいだけでは、単なる装飾にすぎず、つまらない。
岡本太郎は芸術は呪術に似ていると言う。
芸術は、相手に好かれ受け入れられるのではなく、呪術的エネルギーによって相手をとらえてしまうものである。
そのためには、芸術家は、作品を見せると同時に、隠すという困難な作業を行う。
仏教寺院には、秘仏というものがある。
秘仏は、隠して見せないから御利益があるのだが、一方では、隠したままでは、それがあることを人々が知ることはない。
誰も知らなければ、ないのと変わらない。
人々が、それがあることを知っていて、なおかつ見せないから力が増すのである。
ただ、実際に見てしまったらありがたみがなくなるのかどうかは、わからないが。
そこら辺の微妙なところが、芸術と似ていると言えば似ている。
言葉では矛盾するが、見せて見せないことが、芸術の極意である。
「優れた芸術には永遠にフレッシュな感動がある。それは永遠に己れをわたさないからだ。その拒否、秘密がなければ、純粋ではあり得ない。
秘密即純粋なのだ。つまりそれは見せていると同時に見せないことなのである。」
岡本太郎がイメージするのは、指し示す一本の腕である。

2018年8月4日土曜日

とめられなかった戦争 加藤陽子

2017 文芸春秋

戦前の日本は、貧富の差が非常に大きかった。
東京や大阪のような大都市には財閥が、地方には大地主がいた。
財閥や大地主の所得や資産は、下層民の何千倍もあった。
山県有朋や近衛文麿のような政治家は、社会主義者や共産主義者を徹底的に弾圧した。
そのためもあり、社会の矛盾は社会主義や共産主義によって解決されることはなかった。
そのかわり、一部の軍人や右翼のテロという形で噴出することになった。
政治家は、テロを恐れて次第に軍人の暴走を止めることができなくなっていく。
1929年の世界経済恐慌後、日本国内でも失業者が増え、農村の窮乏化が進んだ。
日本の経済恐慌に対する軍人の解決策が、満州事変と満州国の建国である。
中国北東部を軍事的に占領し、1932年、満州国という傀儡政権を作ったのである。
「満蒙は日本の生命線」というキャッチフレーズのもと、鉱工業の開発がすすめられ、多くの農民が満州に移住した。
国際社会は満州国を認めず、日本は国際連盟を脱退して、孤立化していった。
満州国は、日本の経済恐慌からの脱出には寄与したが、国民政府との衝突は避けられなくなり、1937年の盧溝橋事件を発端として、日本は、泥沼の日中戦争にはまっていく。
昔から日本の戦い方は短期決戦型であるが、中国での戦いは持久戦で、戦場も拡大し戦死者も増えていった。
軍人は、蒋介石がいっこうに降伏しないのは、米英が助けているためだとして、敵意をつのらせた。
そして、ついに国民政府の策略どおり、日本は米英と戦争することになった。
アメリカと戦争するのは無謀なことだとわかっていたが、メディアも国民も初期の勝利に熱狂したのである。

2018年7月25日水曜日

新しい幸福論 橘木俊詔

2016 岩波書店

日本では、格差社会が深刻化している。
金持ちの所得がますます高くなるいっぽうで、貧困層が増えている。
しかし、ソフトバンクの孫社長や、ユニクロの柳井社長の所得や資産がいくら高くても自分には関係ないと感じる人は多いのではないだろうか。
またいっぽうでは、正社員が派遣社員に、「派遣でもできる簡単な仕事だ」とか「派遣社員は、社員食堂を利用するな」と言ったり、交通費もボーナスも支給されないなど、派遣社員はプライドが傷つけられることが、なにかと多い。
日本国憲法には、「すべて国民は・・・差別されない」と書かれているが、実際には、格差や差別だらけである。
もっとも、人の能力といっても、遺伝による素質、生まれ育ち、教育、職業などによって異なり、さらに運不運もあり、皆が平等というわけにもいかない。
このなかで、少しでも幸せな、あるいは不幸でない人生を送るには、どういう心がけを持つべきだろうか。
まず、他人と自分とを比較して他人より優位にあると幸福を感じ、劣位にあると不幸を感じるのだとすれば、他人と自分との比較をしなければいい。
とは言っても、他人と自分の比較をしないわけにもいかないので、自分の長所に注目し、それを生かす人生を送ることができれば、たとえ他の分野で劣位にあったとしても、幸せな人生を送ることができるのではないかと考えられる。
つぎに、自分の目標を高くしすぎると、成功する確率が低くなるので、失敗したときに不幸になるとすれば、自分の目標は、ほどほどに設定するべきである。現代の日本は、成熟した社会であり、明治時代のように「少年よ、大志を抱け」などと言っている時代ではない。たとえ青少年期は大志を抱くとしても、年とともに目標を引き下げていき、最後は「生きているだけで、ありがたい」と思えるようになれば、誰でも幸せになれることになる。
幸せになるには、仕事だけでなく、家族と過ごす時間や、趣味や余暇が重要である。
何か一つ打ち込めることがあれば、それをやっているときは、他のことを考えたり、他人と比較したりすることもない。したがって、幸せを感じる程度は高まる。
ボランティア活動をして人から感謝されれば、それによって、大いに生きがいを感じることができる。
人は、自分の幸福ばかりを考えているときより、他人の幸福を考える余裕を持つときのほうが幸福感が増すということもある。

2018年6月18日月曜日

リスクを取らないリスク 堀古英司

2014 株式会社クロスメディア・パブリッシング

資本主義社会では、人間の金に対する欲望は正当なものであると認められている。
株式会社という仕組みでは、一儲けしてやろうという起業家に、投資家が出費する。
投資家は株主になるが、場合によっては金が戻ってこないというリスクを負う。
リスクという考え方は、資本主義経済では、あらゆる場面でみられる。
銀行は、融資先が倒産するリスクを負う対価として金利を受け取る。
生命保険会社は人の死亡というリスクに、損害保険会社は事故による損害というリスクを前提にしている。
リスクを取って起業する人や、投資する人があらわれることによって、技術革新や新しい需要が生まれる。
その結果、経済が成長し、資本主義経済は発展してきた。
現代の日本における様々な経済問題も、もし経済が成長すれば解決される。
経済を成長させるのは、リスクテイカーとしての起業家や投資家である。
皆がリスクを取らず、額に汗して働いたところで、経済が成長しなければ、真綿で首を絞められるように負担が増えていくだけである。
いくら金融緩和をしても、投資が無ければ経済は成長しない。
だから、リスクを取ってチャレンジした人には、高い報酬が与えられるのが当然である。
ただし、競争は熾烈で、誰もが成功できるわけではない。
成功するのは、ほんの一握りの人たちだけである。
スポーツの世界では、オリンピックに出るような人たちにだけ、ご褒美が与えられる。
このように、いくら頑張ってもダメな人のほうが圧倒的に多くなる。
現在、格差が問題になっているが、将来の日本はさらに格差が広がっていく。
給料は、国際競争にさらされているので、上がりそうにない。
年金制度も、ゼロ金利の状況では、破綻するかもしれない。
このように、リスクを取るまいと思ってもそうはいかない。
それならば、むしろリスクについて十分に研究し、リスクを取っていかなければならない。
リスクを取るには、アメリカ株が一番というのが、ファンドマネジャーである著者の言い分である。

2018年2月26日月曜日

日本経済最新講義 ロバート・アラン・フェルドマン

2015 株式会社文芸春秋

高度成長期の日本では、終身雇用と年功序列が日本的雇用の特徴であると言われていた。
終身雇用と年功序列はセットになっていて、愛社精神は美徳と見なされていた。
若年齢層が多く高年齢層が少なかったので、会社にとっても労働コストを低くすることができた。
若いころは低い給料でも、後になって給料は上がることになっていた。
その後、日本経済は低成長期に入り、年功序列は会社にとって重荷になっていく。
会社は、コストを減らすため、工場を海外に移転したり、正社員のかわりに派遣社員を使うようになる。
社宅、保養所、病院も売りに出さざるをえなくなる。
正社員の給料も減らし、人員削減もするようになる。
所得が増えず、したがって消費も増えないこともあって、経済の停滞は長引いた。
就職できない新卒者が増え、正社員と非正社員の待遇の格差が耐えられなくなり、「過労死」が社会問題になっている。
政府は、民営化や規制緩和をすれば民間活力を引き出せるのではと考えたが、それでも経済の停滞をぬけだせない。
そこで、いよいよ終身雇用と年功序列に手をつけざるをえなくなってきた。
終身雇用と年功序列は、制度的にも守られているが、政府は「働き方改革」を口にするようになった。
今度は、「同一労働同一賃金」、「適材適所」がスローガンになる。
「同一労働同一賃金」とは、正社員と非正社員の賃金が同じということだとすれば、年功によって高くなっている正社員の賃金が、労働市場での公正価格とされる非正社員の賃金にあわせて低くなる。
さらに、同じ仕事であれば会社ごとの差もなくなるのではないだろうか。
成果主義の賃金体系が導入され、どのような仕事でどのような成果があったのかが評価される。
裁量労働制では、労働時間と給料との結びつきがなくなる。
こうなると、中高年の男性より若い女性のほうが高給という場合もでてくるし、家庭にいた主婦も働きに出なければならなくなる。
退職金や年金の支払額も減ってしまうので、高齢者も働かなければならなくなる。
これが、「女性が輝く社会」、「終身現役社会」、「一億総活躍社会」の内容である。
この結果、効率化や活性化がすすみ、労働生産性が向上して余暇が増えるとか、転職が容易になって会社に囲われていた人材が開放され、まったく新しい産業ができるかもしれない。
一方で、正社員と非正社員の賃金が同じになるなかで、各種手当や賞与が減額されるとか、解雇が容易になって雇用が不安定になるかもしれない。
将来、給料や賃金が上がるかどうかは一概には言えないが、労働人口が減少すれば上がるかもしれない。
ただ、家族を養うという理由で高かった中高年男性の所得は下がることになるだろう。