2018年8月4日土曜日

とめられなかった戦争 加藤陽子

2017 文芸春秋

戦前の日本は、貧富の差が非常に大きかった。
東京や大阪のような大都市には財閥が、地方には大地主がいた。
財閥や大地主の所得や資産は、下層民の何千倍もあった。
山県有朋や近衛文麿のような政治家は、社会主義者や共産主義者を徹底的に弾圧した。
そのためもあり、社会の矛盾は社会主義や共産主義によって解決されることはなかった。
そのかわり、一部の軍人や右翼のテロという形で噴出することになった。
政治家は、テロを恐れて次第に軍人の暴走を止めることができなくなっていく。
1929年の世界経済恐慌後、日本国内でも失業者が増え、農村の窮乏化が進んだ。
日本の経済恐慌に対する軍人の解決策が、満州事変と満州国の建国である。
中国北東部を軍事的に占領し、1932年、満州国という傀儡政権を作ったのである。
「満蒙は日本の生命線」というキャッチフレーズのもと、鉱工業の開発がすすめられ、多くの農民が満州に移住した。
国際社会は満州国を認めず、日本は国際連盟を脱退して、孤立化していった。
満州国は、日本の経済恐慌からの脱出には寄与したが、国民政府との衝突は避けられなくなり、1937年の盧溝橋事件を発端として、日本は、泥沼の日中戦争にはまっていく。
昔から日本の戦い方は短期決戦型であるが、中国での戦いは持久戦で、戦場も拡大し戦死者も増えていった。
軍人は、蒋介石がいっこうに降伏しないのは、米英が助けているためだとして、敵意をつのらせた。
そして、ついに国民政府の策略どおり、日本は米英と戦争することになった。
アメリカと戦争するのは無謀なことだとわかっていたが、メディアも国民も初期の勝利に熱狂したのである。

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