2019 株式会社小学館
「上級国民」「下級国民」という言葉が流行っているらしい。
いろいろなニュアンスがあるようだが、単に金持ちか貧乏人かというのであれば、日本では、少数の金持ちと多くの貧乏人との格差がますます拡がっている。
これは、世界的な現象である。
現代の社会は、コンピューターが急速に発達し、人々は自由になり、グローバル化が進んでいる。コンピューターの発達は、人々を単純作業から解放するばかりではなく、多くの仕事を奪っている。その結果、人々は、残された「人間にしかできない仕事」にシフトするようになる。少数の「知的でクリエイティブな仕事」か、多数の「人と接しなければならないが低技能・低賃金の仕事」かである。
誰もが自由になり、どのような職業にでもつくことができるようになった。
たとえば、漫画家にでも自由になれるが、漫画家で成功できるのは、ほんの一部であるから、残りの大部分は、貧困になる。それでも、自分で選んだのだから自己責任であると言われる。
グルーバル化が進んで、日本の労働者は東南アジアや中国の労働者と競争しなければならなくなった。外国から安い製品が輸入されるだけでなく、外国人が日本にやってきて、日本人と競争するようになった。地球規模では豊かになっているとしても、多くの日本人にとっては、以前より、貧乏になりつつある。
アメリカでも、同じような状況がすすんでいて、トランプ大統領の最大の支持者は、貧しい白人であるといわれる。なぜ、貧しい白人が、大金持ちのトランプを支持するのか理解するのは容易ではない。
日本で貧しくなりつつある人たちが、社会に原因を求めようとはせず、自己責任論を支持し、嫌韓・反中にはしるのは、アメリカの貧しい白人が移民を嫌悪するのに似ている。
今の社会から利益を得ていないと感じている「下級国民」にとっては、
自分より恵まれて見える人たちを、「上級国民」と言うのかもしれない。
「下級国民」から見ると、医療費を優遇されている高齢者も、憤りの対象になるらしい。
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