2012年5月26日土曜日

宿輪純一 通貨経済学入門


2010 日本経済新聞出版社

貨幣には、交換手段、支払手段、価値貯蔵手段という三つの役割がある。このため、貨幣には高い「信認」が求められる。
貨幣を発行できる特権を「シニョレッジ」という。国際取引で中心的に使われるのが「基軸通貨」で、歴史的には、金、ポンド、ドルの順で変わってきた。基軸通貨は、人為的に決まるものではなく、事実上の慣行で決まる傾向がつよい。アメリカ・ドルが基軸通貨となったのは、アメリカが強国で、経常黒字、対外純資産国であったためである。ところが、現在のアメリカは世界最大の債務国となっている。アメリカ経済は世界一の規模を誇り、数年前までは、消費も大きく、世界中からモノを輸入して、赤字となっていた。さらに財政赤字も大きく、国全体が借金をしてモノを買う体質になっていた。クリントン政権におけるルービン財務長官はドル高政策を採用して、世界中からマネーを集めた。アメリカは経常赤字を埋めることができ、大量に集まったマネーは、株高を演出し、アメリカ経済はかってない好景気を謳歌した。中国や中東の国は、アメリカ・ドルと固定的な相場制度を採用しており、通貨としてのアメリカ・ドルを支えている。中国も中東も対米では大幅な経常黒字となっているが、それらの国は貿易で得たドルでアメリカ国債を買って運用している。貿易もドル建てで行われており、基軸通貨としてのドルを支えている。アメリカの赤字と周辺国であるアジアの黒字という「非対称性」が、ここ10年ほどの基軸通貨ドルを中心とした国際通貨体制となっており、これを「新ブレトンウッズ体制」と呼ぶこともある。
以上のように、アメリカ経済は、双子の赤字という不均衡がベースになっていた。
ところが、不動産バブルがはじけ、株が暴落し、金融危機が発生すると、これからも不均衡を維持していくことはできないのではないかという懸念が強まった。オバマ大統領は、均衡に向かう政策を採用し、貿易面でも、貿易赤字第一位の中国に対して人民元切り上げの圧力をかけている。通貨安政策は、昔から輸出を増やすために使われている。オバマ大統領は、輸出倍増構想を打ち出し、2国間のFTA(自由貿易協定)を推進する姿勢をしめしている。アメリカはTPP(環太平洋経済連携協定)を主導しており、TPPに参加するには、農産物などに例外をもうけず、市場開放することを条件にしている。このように、いままで世界のエンジンとして需要を作り出してきたアメリカが、外国に頼るような政策に変更した。いまや、世界経済のエンジンはアメリカから中国などの新興国に移りつつある。
日本では、変動相場制を採用しているので、サブプライムショックやリーマンショック後、大幅な円高となった。
先進国では、低成長のため、低金利政策をとるなどして、マネーの供給が増大している。低い金利の先進国のマネーは、高い金利の新興国に流入して、新興国の為替レートを上昇させている。
投資対象として注目されているのが、「高金利通貨」と呼ばれる4通貨で、オーストラリア・ドル、インド・ルピー、ブラジル・レアル、南アフリカ・ランドである。
こうしてみると、デフレからの脱却をねらった日本の超金融緩和政策は、じっさいにはグローバル市場に大量のマネーを供給し、様々な国で、不動産、株式、商品などにバブルを発生させたり、為替相場の変動を大きくしたりして、世界経済を揺さぶっていることが考えられる。

2012年5月22日火曜日

勝間和代 起きていることはすべて正しい


2008 ダイヤモンド社

三毒追放

「三毒」とは、仏教用語である。広辞苑によると貪欲、瞋恚(しんい)、愚痴の三つである。
著者による「三毒追放」とは、「妬まない、怒らない、愚痴らない」という三つの習慣で、著者は、これを紙に印刷してオフィスのブースに貼り毎日眺めていた。その結果、味方が増え、運を引き寄せることができるようになったそうである。
「三毒」のようなネガティブな感情は、相手に対する攻撃となるだけでなく、自分にも跳ね返ってきて、自分がポジティブになるのも妨げる。「三毒追放」の内容は、お寺の壁に貼ってあるときには、気持ちを穏やかにして、相手を許すという意味も含まれそうである。これに対し、著者の場合は、より合理的な「技術」としてとらえているようである。
嫉妬を感じる相手には、敬意を払うと同時に、しっかり分析し、参考になるところはどんどん取り入れて、一歩でも近づく努力をする。相手を妬むひまがあったら、その要因を要素に分解する。冷静に考えることができれば、妬む気持ちも薄れていく。
著者の場合、もっと実際的だと思われるのは、「怒らない」ことにあらわれている。自分の気持ちを抑えたり、相手を許したりするというより、いろいろやってみても、それでもだめなら、相手から物理的に遠ざかるのである。怒りの対象から遠ざかれば、怒りの感情も薄れていく。
著者は、わずか19歳で公認会計士の2次試験に合格し、21歳で1児の母となった。いくら優秀でも、男性中心の日本社会のなかで、若い女性がやっていくのはかなり大変だったであろう。著者は、その後、監査法人を辞めて、外資系企業に転職し、コンサルティング・ファームを経て、いまは、経済評論家として多数のベストセラー本を出している。ここまでやってくるのには、多くの「怒り」の対象から遠ざかることが必要だったのではないかと思った。著者の「三毒追放」とは、自身の悪戦苦闘の経験から得られたものなのであろう。

2012年5月16日水曜日

芭蕉 おくのほそ道


「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして、旅を栖とす。
・・・
弥生も末の七日、明ぼのゝ空瀧々として、月は在明にて光おさまれる物から、不二の峰幽にみえて、上野・谷中の花の梢、又いつかはと心ぼそし。むつましきかぎりは宵よりつどひて、舟に乗て送る。千じゆと云所にて船をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさがりて、幻のちまたに離別の泪をそゝぐ。

行春や鳥渧魚の目は泪

是を矢立の初として、行道なをすゝまず。人々は途中に立ちならびて、後かげのみゆる迄はと、見送なるべし。」

芭蕉が江戸を出発したのは、今の暦で5月16日であった。多くの人々が芭蕉一行を見送り、別離を嘆く様は、目は魚の目のように濡れ、鳥が鳴くように悲しい声を出したという。当時、いかに芭蕉の人気が高かったかわかろうというものである。
芭蕉の人気はいまも絶大で、各地に句碑や像が建てられている。しかし、なぜ、五・七・五というわずか17音で感動するのか不思議と言えば不思議である。思うに、単なる17音だけでなく、芭蕉がいつどこで読んだのかというようなことに意味がありそうである。子供が池にカエルが跳びこんだのでポチャンと音がしたよと言っても、それが芸術だとは言わない。ということは、芭蕉そのものが芸術ということになりはしないだろうか。芭蕉は、旅の前から、松島の月をぜひ見たいと言っていたのに、松島では、あまりにすばらしくて言葉にできないと言って一句も詠んでいない。それでも芭蕉を支持する人は、芭蕉が松島に行ったというだけで納得する。いっぽう、芭蕉に反感を持つ者は、あんなに楽しみにしていた松島でその程度の句しか詠めないのかとけなしてやろうとしていたが、芭蕉に肩すかしを食わされてしまったことになる。もっとも、句というのは、さあ詠めと言われて詠めるものではなく、自然な感動が口をついて出てくるものだとすれば、単に出てこなかっただけかもしれない。
人そのものが芸術であるとは、しばしば言われている。それは、弱々しい老指揮者が指揮をするだけで人々が熱狂することからも容易に想像することができる。人の心を動かすことにかけては、芸術家とシャーマンとは、よく似ている。しかし、シャーマンがその場かぎりなのに対して、芸術家は時代を超えて人を感動させるのである。

2012年5月5日土曜日

2012年5月1日火曜日

マークJ.ぺン/E.キニー・ザレスン マイクロトレンド


吉田晋治 訳

2008 日本放送出版協会

私たちは、選択肢が氾濫する世界に生きている。人生のあらゆる場面で、かってないほど幅広い選択肢のなかから自由に選択している。
今では、巨大な影響力をもつ「メガトレンド」は、ほとんど存在しない。
だれもが夢中になるような巨大な影響力をもつ「トレンド」は存在せず、その代わり、いくつもの「マイクロトレンド」が生まれている。
「マイクロトレンド」とは、小さな動きが大きな「トレンド」になっていくのではなく、目立たない小さな動きが、社会を形作るのに大きな影響を及ぼすことである。
たとえば、次のような「マイクロトレンド」がある。

結婚しない人が増えた。
50代、60代で子育てをする人がいる。
独身男性より、独身女性のほうが住宅を買う。
仕事を家でする人が増えた。
学校にいかない子供が増えた。
定年後も働く高齢者が増えた。
親の介護をする男性が増えた。
質素な暮らしをする富裕層が増えた。

いまの社会は多様化していて、他人と違うことをする人に対して寛容になっている。その結果、いろいろな社会現象が現れる。
しかし、それらが「マイクロトレンド」と呼べるかどうかは、また別である。
それでも、小さな「トレンド」が無数に生まれて、世の中を変えていくという考えには、それなりの説得力がある。
大きな「トレンド」だけ見ていると、未来予測を誤りかねない。少子高齢化という大きな「トレンド」からは、年金制度の崩壊が予測されるが、定年後も働く高齢者が増えれば、年金制度は破綻しないかもしれない。