2011年10月26日水曜日

安田登 異界を旅する能

2011 株式会社筑摩書房

1956年生まれ

著者は能楽師である。
能という芸能は、今からおよそ650年ほど前に観阿弥、世阿弥父子によって大成され、今に受け継がれている。
能の舞台は、主人公であるシテ、脇役のワキ、楽器を演奏する囃子方、謡を受け持つ地謡などで構成されている。
このうち、もっとっも目立って活躍するのは、シテである。ワキは、「諸国一見の僧」や「一所不住の僧」であることが多く、初めのころシテの演技を引き出したら、あとは、舞台の隅で、ただ座っていることが多い。
一般に、能や歌舞伎のような伝統芸能では、このような役割が、代々引き継がれてきたらしい。
著者は、文字通り、ワキ役に徹していて、けっして主役にはならない。
しかし、「ワキ」という役は、単なる脇役とは違い、重要な役割を持っているという。
そもそも、ワキがいなければ、シテが現れてくることができない。
ワキは目立たないが無視できない力を持っている。
ふつうの人には見えない異界の存在であるシテを呼び出し、出会うことができるのはワキだけである。
このように、能という芸能は、いろいろな役割をもった人がそれぞれの役割を演じることによって成り立っている。

話は変わるが、会社などの組織も同じことで、各自がそれぞれの役割をしっかり果たすことで会社という組織がうまく機能する。
会社は、皆を出世させることはできない。そこで、地位の上下は、単なる役割の違いにすぎず、立場はみな同じであるという考え方がでてくる。
長年勤務した人は、表彰し、定年まで勤めた人には、長いあいだ会社の為に働いていただきありがとうございましたとねぎらいの言葉をかける。このようにして、たとえ出世しなくても、自分が働いた会社を愛し、自慢する人ができるのである。
かっては、こうしたことが、日本の企業の慣行だったこともあるが、いまは、どうなのであろうか。

0 件のコメント:

コメントを投稿