2011年10月8日土曜日

永井荷風 断腸亭日乗(摘碌)

1987 岩波文庫

永井荷風が好きだと言う人と嫌いだと言う人は、どちらも多いのではないだろうか。
永井荷風は、山の手の裕福な家庭に生まれ、若い頃に結婚したことはあるが、すぐに離婚した。
親に財産があったので、芸者や娼婦と遊んで暮らし、生涯独身で世の中に背を向けて過ごした。
そういうイメージがあるためか、荷風が嫌いな人は、不道徳だと言って批判する。
逆に、荷風を好きな人は、自由で都会的な生き方に共感をおぼえる。

荷風が不道徳だったと言われれば、そういう面もあるのではないだろうか。
荷風は、「断腸亭日乗」という膨大な日記を残したが、一部を読むと、そんな気がする箇所もある。

1923年(大正12年)9月1日

正午になろうとするとき、関東大震災が東京を襲った。
荷風は本を読んでいたが、書架の本が落ちてくるのに驚き、庭に出た。
何度も大地が震動し、まるで船の上に立っているかのようであった。
門につかまって我が家を見ると、幸いにも屋根の瓦が少し滑った程度であった。
昼食をとろうと近所の山形ホテルに行くと、食堂の壁が落ちたので食卓を道路の上に移していた。
食後家に戻ろうとしたが、震動が止まないので家に入ることができなかった。
夕食は、ふたたびホテルでとって愛宕山に登り、市中の火事を観望した。
火は夜になって荷風の家の近くまで迫ったが、荷風の家は延焼を免れた。

1923年10月3日

愛宕山の坂上から東京市街を見渡すと、一面の焦土で遮るものが無く、房総の山々が手に取るように近くに見えた。
帝都荒廃の光景は、哀れと言うのも愚かである。
けれども、明治以来大正までの帝都を顧みれば、いわゆる山師の玄関と変わりなく、愚民を欺くいかさまに過ぎない。こんなものが灰になったところで、さして惜しむには及ばない。
近頃、世間一般の奢侈嬌慢、貪欲飽くことを知らない有様を顧みれば、この度の災禍は実に天罰と言うべきである。何で深く悲しむことがあろう。
外観のみ飾り立てて百年の計を持たないい国家の末路などこんなもので、自業自得天罰覿面とはこのことである。

関東大震災では、何万人もの人が死んだが、荷風は山の手の麻布に住んでいて、自らは、たいした被害も被らなかったので、日記には被災した人にたいする同情の気持ちを覗うことはできない。

荷風のこうした自分のことしか考えないという態度は、不道徳と言えば不道徳である。
もっとも、そこがまた荷風文学の面白さで、生きていたときは他人のことなど考えなかった小説家の文学が、死んでから他人に愛されているというわけである。

震災といえば、今年の3月に起きた東日本大震災であるが、こちらのほうも津波に襲われて多数の死者がでた。
上空からみると、田んぼの上を水が移動しているようにしか見えない光景も、その下は地獄であったのだろう。
地震が発生してから津波が襲ってくるまでにはかなりの時間があり、逃げようと思えば逃げられたのに、逃げずに命を落とした人も多かったらしい。
人は、自分が次の瞬間に死ぬこともわからないのだから、まして、他人のことなどわからないのも無理はない。
それでいいというのではなく、他人に同情するには、学習と想像力が必要なのではないかと思う。

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