2011年3月22日火曜日

三土修平 頭を冷やすための靖国論

2007 株式会社筑摩書房

1949年生まれ

靖国神社は、1869年に戊辰戦争での官軍側の戦死者を祀る東京招魂社として発足した。他の神社と異なり、陸軍省と海軍省の管轄下にあり、戦死者の名前が特定されると、個々の戦死者の霊が靖国神社に招かれ、さらに合祀祭という儀式をへることによって、すでに祀られていた神霊に合体して正式に祭神となり、とこしえに国を護るというのが「靖国信仰」である。
合祀は、天皇からの恩恵として下賜される栄誉とされていて、遺族が信仰上の理由からそれを断ることは、最初から想定されていなかった。

靖国神社は、伊勢神宮とともに「国家神道」と言われている国家のための宗教の要であった。
このように、戦前の軍国主義を精神的に支えてきた靖国神社は、日本の敗戦によって廃止されてもしかたがなかったはずである。
ところが、占領軍は、政治と宗教を分離し、宗教活動は自由にすることを原則とした。
そのため、靖国神社は、「宗教だから」という理由で、一宗教法人として残ることを許されたのである。
「民間の」宗教法人としての靖国神社は、そのためにかえって安全に旧来の姿を保つことができ、占領時代をやりすごすことができた。

占領が終わると、靖国神社の関係者は、国のために戦死した者を祀っているのだから、当然、政府が責任を持つべきだと言い出した。しかし、靖国神社を公的な特殊法人にしようとする試みは、けっきょく失敗する。
つぎに首相が靖国神社を参拝するべきだということになり、歴代の自民党の首相が靖国神社を参拝しようとして、中国などアジア諸国の反発を買って取りやめにしたりすることがあった。

ところで、現在の日本政府の公式見解によると、日本で大東亜戦争と呼ばれている戦争は、アジア諸国に対する侵略戦争であるので、深く反省してお詫びするというものである。これは、アジア諸国での共通の認識となっている。
これに対して、靖国神社では、一宗教法人として自由な立場であるために、戦前の価値観がそのまま温存されている。
このような矛盾があるうえに、憲法では政治と宗教は分離されていて、国民もそれを納得している。
そのため、靖国神社を公的な施設にしようとする試みは、うまくいかないのである。

戦後ながいあいだ影響力を持ってきた戦没者の遺族も社会から退場しつつあり、今後の靖国神社は、ふつうの神社としての道を歩むことになるだろう。

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