1997 株式会社講談社
源氏と平氏のことを「平家物語」から学ぶ人は多いのではないだろうか。
「徒然草」によれば、「平家物語」は、信濃前司行長という下級貴族が出家して比叡山に入り、生仏という盲目の法師に教えて語らせたものである。
盲目の法師が琵琶をベンベンと弾きながら語ったもので、説教、歴史、文学、芸能が入り混じっているのである。
そうなると、どうしても、おもしろおかしく聞こえるように工夫するのが当然であろう。
そこで、「平家物語」では、善玉と悪玉とがはっきりしており、平氏は悪玉扱いにされている。
奢れる平家は久しからずというわけで、平清盛は、いかにも悪者であるかのように書かれている。
しかし、平清盛が娘を高倉天皇の皇后とし、安徳天皇の祖父になるまでには、その前半生で、いかに才覚を発揮したのかは書かれていない。平清盛も、スケールの大きな人間的魅力に富んだ人物であったのかもしれない。
また、合戦の模様も、まるで絵巻物を見るように優雅にさえ感じさせるが、じっさいの戦というのは、ずっと殺伐としたものであったに違いない。こうした点でも、日本人の歴史観や戦争観に影響を与えてきたのであろう。
「平家物語」は、文学作品としてすぐれているために、かえって歴史の一面しか見えなくさせてしまうという可能性がある。
歴史上の出来事は、一度しか起こらない真実があるにしても、あとになって残されたものから解釈したり、類推したりするものだから、歴史の意味それ自体は変わっていく。
源平の陰に隠れているが、奥州藤原氏の栄華は特筆すべきである。当時、東北では、豊富に金を産出し、その富を背景にして、藤原氏は一大仏教王国を築きあげていた。このころ、日宋貿易が始まっていたので、海外にまで「黄金の島」日本の噂が広まった。
藤原氏を滅ぼして東北を征服した源頼朝は、平泉の仏教文化の壮大さに影響を受け、鎌倉を京都にならって整備し、大寺院を建設したという。
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