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「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。」の出だしで始まる「方丈記」は、学校の教科書にのっているので誰にでもおなじみである。
作者は、それに続けて、人の一生も朝落ちて夕べには消える露のようだと言い、さまざまな災害を書き並べている。
作者は、50歳で家を出て、60歳のときには、方丈つまり3メートル四方の庵を山の中につくった。
この時代には、政治も不安定で、飢饉もしばしば発生し、世を捨てて山に逃れる人もかなりいたのであろう。
現代においても、停年退職後の元サラリーマンが読む本の中には、「方丈記」を解説したものが多い。気持ちだけでも、わずらわしい人間関係から離れて隠遁生活を送りたいと願う人が多いのだろう。
もっとも、作者は若い頃は大きな邸宅に住んでいたこともあり、身分も高かったという。さらに、庵のある山は、そこらの山ではなく山守がいる比較的安全なところだったと思われる。今でいえば、別荘地の小屋にひとりで暮らしているようなものではなかったのだろうか。
日本の風土は、昔から地震や台風にさらされ、火事も多いので、木造の建物はいずれ跡形もなくなってしまう。財産を築いても、自分のためではなく、家族や使用人、その他の人のためにしかならない。自分ひとりが生きていくには方丈もあれば十分で、花鳥風月を愛で自足した生活を送るためには、そのほうがかえって好都合だったのであろう。
今年、東北地方で大震災が起きた後に「方丈記」を読みなおしてみると、以前とは違う感動があった。地震や津波の話は、仏教的無常観を強調するためと思っていたのが、実際に起こったことをかなり正確に書いているのではないかと感じるからである。日本は自然災害の多い国で、たとえば富士山は、何度も噴火しており、いまから300年前にも大爆発を起こし、江戸に火山灰が降ったという。また、鎌倉の大仏は、もとは建物に覆われていたが、台風か津波によって建物が壊されて以来、再建されなかったので、今のような姿になっている。富士山は日本人に愛されているし、鎌倉の歴史的価値も否定することはできない。しかし日本の風土の多様性と美しさは、いっぽうでは、その脆さでもある。富士山や鎌倉を世界遺産に登録したとしても、そのことに変わりはない。
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