2010年9月4日土曜日

副島隆彦 時代を見通す力

歴史に学ぶ知恵

2008 PHP研究所

1953年生まれ

歴史的に見ると、日本は中国文化圈の国である。
それは、日本で使われている文字が漢字であることからも明らかである。
昔の日本の知識人にとっては、ひたすら漢文を読むことが学問であった。
ここで、日本人にとっては、漢文を学べば学ぶほど、ストレスがたまることがある。
それは、漢文で書かれた書籍の根底に流れている中華思想である。漢民族こそが、世界の中心であり、周辺の民族は文化的に遅れた野蛮人であり、日本は東夷と呼ばれていた。
このような中国思想を学んできた日本人は、常に屈折した感情を抱かざるを得なかった。そのため、しばしば、中国に対する反感から、中国なんか世界の中心ではない、日本こそが世界の中心だと言う人が出てきた。中華思想の枠組みは、そのままにして、中国を日本に置き換えたようなものである。

江戸時代に、幕府は、仏教を保護し、朱子学を公式の学問とした。
それらに対する反発から、国学がさかんになり、幕末には平田篤胤や頼山陽の本がベストセラーになった。
尊皇攘夷が、そのころの一般的な思想になって、民族的愛国心が高揚した。
そのようななか、アメリカのペリーが、7隻の軍艦を率いて、1853年、品川沖にまで接近した。幕府は、これを追い返す力はなく、開国せざるをえなかった。
その後、攘夷つまり外国排斥は、当時の一般的な世論であったにもかかわらず、薩摩や長州も、イギリス艦隊の砲撃を受け、力の差は、あまりにも大きく、開国せざるを得ないことを思い知らされた。
明治維新は、イギリスの援助を得た薩摩や長州が、幕府を軍事的に圧倒したために起こったものである。このころ、アメリカは南北戦争のただ中にあり、日本をかまっている余裕はなかった。

尊皇攘夷的な考え方それ自身は、明治以降もますます強くなり、ついには日中戦争の泥沼にまで導いた。
日本は、中国との戦争で、目いっぱいで、もはや戦争を拡大することは難しいにもかかわらず、なぜ、アメリカとまで戦争したのだろうか。
アメリカとの戦争は、石油を供給しないというアメリカの挑発に乗って、海軍主導で始められた。陸軍と海軍はバラバラで、陸軍が中国で戦っているのに海軍はなにをしているのかという雰囲気があったのだろうか。というより、アメリカと戦争すれば負けるのがわかっているのに、陸軍も海軍も、それを自分から言い出すことができなかったため、戦争せざるをえなくなってしまったらしい。

アメリカと戦争して、予想されたように、徹底的に打ち負かされ、敗戦後、日本は、すべてにわたってアメリカの「属国」になった。

以上、本書から得た印象をまとめたものである。

戦後の日本がアメリカの「属国」であるという説はよく聞く。
日本は、軍事的にはアメリカに依存して、そのために経済的には繁栄した。
依存ばかりしていると、反抗もしたくなり、こんどは、中国と仲良くしようとする動きもある。
しかし、日本と中国とは、昔から仲がいいというわけではなく、ついこの間まで、日本が中国を侵略していたのである。

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