1951年生まれ
2009 株式会社筑摩書房
「漢字が読めない、歴史を知らない、計算ができない・・・大学生の『基礎学力』のなさが言われて久しい。だが、『教育』に過剰なこの国の若者が『学力』を欠いているとは驚くべきことではないか。」(扉より)
今の若者に基礎学力が足りないというのは、本当だろうか。それでは、学校教育に問題があるのだろうか。
著者は、学ぶとは、この自分が学ぶのであり、生まれてから死ぬまで、身ひとつで生きる自分が学ぶのだという自覚がなければならないと言う。
この意味では、今はどうかわからないが、かってどこの小学校にでもあった二宮金次郎のセメント像は、象徴的である。今では、二宮金次郎のことを知る人も少なくなってしまったが、二宮金次郎は、学校とは無縁の人である。16歳の時に両親をなくし、伯父の家に引き取られたが、この伯父は金次郎に本を読むことなど許さなかった。それで、金次郎は、仕事の途中に歩きながら「大学」という本を読んでいた。
金次郎は、学校などには行かず、わずかな時間を惜しんで本を読んだ。
著者は、二宮金次郎のような生き方こそ、本当の学問に対する態度であると考える。
いまでは、大学の世界ランキングが発表され、論文の掲載件数などを競いあっている。子供の学力も、世界標準で第何位だとかいっている。著者は、こういうことは、人生のなかで、ほんとうに考え、学ぶこととは違うのではないかと言う。
考えてみれば、学校へ行けなかった二宮金次郎の像が、学校にあるというのも、おもしろい。
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