2015 幻冬舎新書
資本主義経済では、価格は自由な市場における需要と供給とのバランスによって決まる。
労働の価格である賃金も同様である。仮に賃金が時給1000円だとすると、労働者は、1日8時間、月に20日働けば16万円、1年で192万円の賃金を得る。
資本家は、資金を投入し、労働者を雇用する。事業が失敗したら全責任を負うが、成功すれば利益を手に入れる。
これが続くと、労働者はいつまでたっても富を蓄えることができないが、資本家は富を蓄積する。
マルクス経済学では、これを、労働者が資本家に搾取されていると考えている。
労働者のほうが人数では圧倒的に多いから、組織された労働者階級は革命を起こして資本主義は終焉する。
日本では、政権は選挙により決まるから、革命を起こさなくても、労働者階級の政党である革新政党が選挙で勝ち、政権を取りそうである。ところが、現実には自民党保守政権がずっと続いている。
それはなぜかというと、日本の資本主義は、会社中心でやってきたからである。
上記の同じ労働者が、会社に所属して長く働くとすると、事情が変わってくる。
仕事は同じでも、毎年昇給する。そのほか、各種の手当てが加算され、ボーナスが給料と変わらないくらい支給される。
福利厚生もととのっており、保養所、病院もある。長年勤務すれば多額の退職金が支給される。さらに、退職後も年金が支払われる。
労働者は、会社に所属して働けば、そうでない場合の何倍もの利益を得る。
会社では、社長などの経営者も下から昇進し、労働者に比べて極端に高額の報酬を得ているわけでもない。
本来の資本家である株主には、わずかな配当金しか払わない。
このような場合には、労働者は搾取されているとは思わない。
労働者は会社に保護されていると思い、会社を愛し、会社を誇りに思う。
このような会社中心の資本主義が日本資本主義の特徴である。
一時は、一億総中流とも言われ、自民党は資本家階級の政党ではなく、国民の政党のように振舞っている。
会社中心資本主義の場合、会社にはいれないか、会社からしめだされたらみじめである。
最近、「格差」が問題になっているが、資本家と労働者の間の格差のことだけではない。
会社の正社員と非正社員との待遇の違いや、アルバイトで働く場合とか、労働者間での経済的格差のことを言うことが多い。
会社や役所にはいれないと、大学の奨学金を返すこともできない。
そのため、会社の内部にいるものは、会社にしがみつこうとし、サービス残業でも喜んでする。
会社が苦しくなれば、労働組合は、給与の減額さえ受け入れる。
会社という村社会の一員であることを確認して安心するのである。
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