2006 株式会社ナツメ社
「老子」という書物は、今から二千数百年前の中国で、複数の人物によって書かれたといわれている。もっとも、考え方はそれ以前からあったのであろう。宇宙の根元を「道」というが、「ミチ」と呼ぶより、「タオ」と言うのがふさわしい。「老子」を読んだと大声で言う人は、あまりいない。そもそも、「老子」では、偉くなったり目だったりしないのが理想の生き方であるとされている。しかし、「老子」という書物は、昔から広く読まれてきたので、よく知られた言葉が多い。
「上善如水」とは、最上の善は水のようなものという意味で、水は万物に利益を与えながら、しかも争わず、誰もが嫌う低いところに落ち着くという。水は、また、柔らかいが硬い岩をもうち砕く強い力をもっている。
「和光同塵」とは、「道」や「道」を体得した人物は、自らの知の光を和らげて隠し、俗世間の人々のなかに同化して交わるという意味で、仏教にも取り入れられた。
「大器晩成」は、ふつう、大人物は徐々に大成するものであると解釈されている。しかし、本書によると、最近発見された古文書には、「晩」という文字ではなく、「免」とあったという。それならば、大いなる器は完成しないという意味になり、「老子」の本来の意味もそこにあったらしい。
「天網恢恢疎にして漏らさず」という言葉も有名である。天の網は広大で目があらいようだが、悪人は漏らさずこれを捕らえるという意味でもあるし、一生懸命頑張れば、きっといつかは誰かが認めてくれるという意味にも解釈されている。しかし、「道」からみれば、人の一生など、ほんの一瞬にすぎない。分からずに終わる悪事もあれば、報われない人生もたくさんあるにちがいない。「道」は、万物を巻き込んで流れている渦のようなもので、人間もその中にいるのだが、ふつうの人間にはとらえることはできない。
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