2010年10月9日土曜日

早坂茂三 怨念の系譜

2001 東洋経済新報社

1930年生まれ

越後地方は、「裏日本」と言われ、一年の半分を雪で閉ざされて、昔から中央から辺境と位置づけられてきた。
この越後地方から、三人の人物が出ている。幕末の長岡藩の家老、河井継之助、海軍の名将、山本五十六、そして田中角栄である。著者は、長く田中角栄の秘書を勤めていた。
いずれも志半ばで死んだ三人の見果てぬ夢を「怨念の系譜」としてとらえ、名誉を回復し、正当な評価を与えようとするのが本書の目的である。

そのうち、田中角栄は、政権の支持率が圧倒的に高かったころ、庶民宰相、今太閤、コンピューター付きブルドーザーとマスコミにもてはやされた。
そのマスコミは、田中角栄がロッキード事件で逮捕されると、いっせいに手の裏をかえして、金権腐敗政治の元凶ときめつけ、有罪の先入観にたった報道を全国に流し続けた。
東京地方裁判所の一審で実刑判決が言い渡されたとき、逮捕されてから7年近く経過していた。さらに10年後、田中角栄が亡くなって、最高裁判所は、被疑者死亡による公訴棄却を決定した。
有罪無罪をうやむやにされたまま事件は終結した。
いまでは、ロッキード事件のことを知る人も少なくなってしまったが、この事件は不可解な点が多く、「怨念が残った」と言われてもしかたがない。

田中角栄の政策としては、日中国交正常化を実現したことと、「日本列島改造論」が有名である。
「日本列島改造論」は狂乱物価を招いたと批判されたが、「表日本」と「裏日本」の格差をなくそうとした積極的な政策という評価もできる。
田中角栄の政治手腕は卓越しており、官僚を使うのがうまかったと言われている。
大金を動かしたのは事実であるが、金だけが目当てであったわけではなく、今でも国民的人気の高い政治家の一人である。

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