「アリとキリギリス」で読み解く世界・アジア・日本
2009 中央公論新社
1967年生まれ
「アリとキリギリス」は、イソップ寓話である。
グローバル経済は、経済成長を輸出で維持してきたアリ諸国と、内需主導で維持してきたキリギリス諸国との相互依存によって拡大してきた。アリ諸国の代表である日本は、優秀さと勤勉さを自賛してきたにもかかわらず、いっこうに豊かになれない。いっぽう、アメリカ人は、豪華な家に住み高価な車を乗り回してきた。
寓話では、冬になると、キリギリスは困って、アリは暖かく暮らすのであるが、グローバル経済のように両者に交易があると、アリも困ることになる。夏の間に、いっしょうけんめい働いてアリがキリギリスから得たものは、ドルという紙切れにすぎなかったので、アリに豊かな蓄えは残らなかったのである。
このようなたとえが適切かどうかは別としても、一国だけで経済を語ることはできず、グローバルな視点で考えなければならない。
日本経済の現状と今後についてどう考えたらよいのだろうか。
1990年代から2000年代の日本経済を形容して、「失われた15年」という表現が使われている。著者は、その間、日本経済が失ったものは三つあると考えている。
すなわち、①経済成長、②モノ作りの拠点としての優位性、そして③主体的に経済構造の改革に取り組む意思、である。
それでは、今後の日本経済は、どうあるべきか。
著者は、①主体的に経済の構造改革に取り組む意思と姿勢の重要性、②対外的には、「慈善的・大国主義的アプローチ」から脱却する必要性を示唆している。
「失われた15年」の停滞を経て、日本はもはや東アジアで唯一の経済大国ではなくなった。この事実を冷静に認識したうえで、主体的に構造改革に取り組みながら、東アジアの中での共生を図るしか日本経済の進む道はないという。
「日本経済」の衰退は、以前から指摘されてきたが、いよいよ確かになったきた。
政治家は経済に無関心、日銀は、これ以上やれることはないというのが現実である。
さらに、日本人は自分たちをアリだと思ってきたのだが、アジアの他の国々から見れば実はキリギリスであったのかもしれない。
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