2017年3月8日水曜日

きまぐれ暦

1979  星新一 新潮文庫

著者は、数多くの短編を書いたが、製薬会社の御曹司で、自身でも会社を経営していたことがある。著者によると、かって江戸時代には医師は存在していたが、じつはほとんど役に立たなかったという。人体についての知識もなく、まともな薬も存在しなかったからである。それでは、西洋医学がすぐれていたかというと、解剖学だけは正確だったので日本人を驚かせたものの、効果のある薬などなにもなかった。
パスツールが細菌を発見したのは、やっと19世紀後半になってからである。
その後、ワクチンが発見され、いろいろな薬が製造されるようになったが、結核でさえ、つい最近まで不治の病に近かった。ハンセン病は、らい病と呼ばれて恐れられ、患者は隔離されていた。

今の世の中は薬が多すぎるので、私たちは薬のありがたみを忘れがちであるが、もし薬がなかったとしたら、たしかに大変なことである。

2017年2月27日月曜日

2017年2月26日日曜日

工学部ヒラノ教授

2011  今野浩  株式会社新潮社

大学も社会の縮図であるから、そこでは教授たちがドロドロとした権力闘争に明け暮れている。子供が少なくなれば大学の経営も苦しくなり、学部の看板を掛け替えたり、再編してみたり、大学院を新設したりする。国家の財政が逼迫しているので、大学の予算も削減され、そのぶん、文部科学省の役人のご機嫌を取ろうとして、天下りもよろこんで受け入れる。
このようななかで、大学教授という職業を考えてみると、けっして儲かる商売ではない。
大学教授になるには、大学を卒業してからさらに4年間も学ばねばならず、その後の下積み期間も長く、やっと40代の後半で大学教授になれたとしても、研究者としてのピークは過ぎていて、定年が間近に迫っている。
理工系の学部のばあい、実験器具を買ったり、海外に出張しようとすると、とても研究費だけではやっていけない。そのため、特別に文部科学省から補助金を出してもらおうとする。しかし、文部科学省の役人は、どれがすばらしい研究かなどわかるはずがないので、すでに実績のある研究に補助金が回ることになる。つまり、金のあるところへはますます金が回ってくるが、どんなにすばらしい研究であっても実績のないところへは金は回ってこない。冷遇されて恨みを残す人も多いことであろう。
大学教授は忙しいから、なかには学生の教育にあまりかまっていられない人もいて、学生など、タダで使える労働力としてしか見ていない。こまかい実験や統計作業をやらせたり、参考書の練習問題の解答を作らせたりしているのであろう。教育とか学生よりも、自分の生き残りを優先するとすれば、あり得ないことでもない。

以上、悪く書きすぎたが、大学も裏から見ればこういう面もあるのだろうと思う。それでも、社会における大学教授のステータスは高く、基本的に嫌な仕事はしなくてすむのだから、大学教授という職業は、やはり恵まれているのではなかろうか。

2017年2月13日月曜日

脳の呪縛を解く方法

2014 苫米地英人 株式会社KADOKAWA

ブラック企業で過労死する人が出ると、「辞めればよかったじゃないか」と思うが、そう簡単には辞められないし、逃げられない。
これは、おもに「脳の呪縛」のせいである。
人の脳は「誰かに見られている」と勝手に感じるように出来ている。
人の脳も、目や耳などの他の器官と同じように右脳と左脳とに分かれている。
意識とは、人が言葉を獲得してから急速に進化したものであり、左脳に言語をつかさどる領域があると言われている。著者によると右脳にもおなじような働きをするところがある。
言い換えれば、左脳にある意識は、右脳からの刺激を受けている。
誰かに見られていると感じるのはそのためである。
荒井由実は、「小さい頃は神様がいて」と歌ったが、誰でも似たような経験があるはずである。
その後、親に保護されて見守られ、学校に入ると先生が見守ってくれた。
社会に出ると、今度は会社が見守ってくれるのかというと、そうはいかない。
会社や、もっと広くとると、国家もそうであるが、それらは個人を監視し、束縛する。
しかし、かならずしも保護してくれるわけではない。そこらへんが監視され束縛されることに慣れている人には理解できず、逃げられなくなってしまうのである。
このような「脳の呪縛」を解くことによって、自由な自分を取り戻さなければ、今の日本のような生きづらい社会を生きていくことははできない。

昔も、武士は、主君に忠誠を誓って切腹したりしていたが、庶民は、「正直者はバカを見る」などと言っていたものである。

2016年12月24日土曜日

JR鶴見線

鶴見小野駅
弁天橋駅

浅野駅

安善駅

武蔵白石駅


2015年12月12日土曜日

長谷川慶太郎 大局を読む

2014 徳間書店

中国人による「爆買い」が流行語になっている。
中国人観光客が大挙して日本にやってきて、電気製品、化粧品、医薬品を買っている。中国人が豊かになって優秀な日本製品を買ってくれるのだと考えれば、けっこうなことである。だが、いくら中国人が豊かになったからといって、一人または家族で使いきれないほどの量を買っていくというのはどういうことだろう。たぶん、日本の製品は中国では非常に高く、一般の庶民では手が出ない。そのため、日本にやってきて大量に買い、中国に帰ってから知り合いに配って自慢する、または現地での価格より多少安く転売するということではないだろうか。日本に大勢の中国人がやってくるといっても、中国の人口は多いから、ごく一部が来ているだけかもしれない。日本の家電製品などは、ほとんど中国で作られているはずだが、それが現地では中国人の手に入りにくい仕組みが何かあるのだろう。たとえば、すべてが輸出用に作られているとかである。日本から輸入すれば、非常に高い税金が課されているのだろう。
そこまでは容易に想像できるのであるが、著者によると、中国人が現在の政治体制したがって通貨を信用しておらず、今のうちに、新しい政権と通貨になっても容易に換金できる「物」に換えておこうということだという。中華人民共和国の崩壊を見越しているというのである。資産も海外に逃がそうとしている。
それならば、東京やリゾート地の不動産でさえ、中国人が「爆買い」しているというのも納得がいく。「爆買い」といっても、いつまでも続くのかどうかはわからない。

2015年12月4日金曜日

石井幹人 人間とはどういう生物か

2012 ちくま新書

20世紀の大発明といえば、原子力の利用とコンピューターが思い浮かぶ。5~60年前には、どちらも無限の可能性があるように見えた。「鉄腕アトム」が子供たちの人気ものになったのも、この頃のことである。
その後、ロボット技術は急速に進み、人間のようにふるまう「人工知能」の研究開発もさかんに行われた。しかし、「人間のように思考するロボット」はいまだにつくられていないし、将来実現するであろうという人もいない。
コンピューターは人間のように考えることができない。
アイデアが浮かんでくることもないし、絵画や音楽を鑑賞することもできない。
それでは、なぜ人間は考えることができるのかといえば、生物としての長い進化の歴史のなかで考える能力を獲得したことはたしかである。「考える」ことは「意識」が行っているが、「意識」とは、進化の歴史のなかではごく最近現れたものである。「意識」は、人間の「心」のなかでは、それよりずっと長い歴史を持ち、より広い領域を持つ「無意識」に支えられている。アイデアが浮かんできたり、さまざまな考えが浮かんでくるのは、心の表面にある「意識」に、心の内部にある「無意識」から、それらが泡のように浮かびあがってくるようなものである。
従来の「科学的」な発想によれば、「意識」は脳のなかにある。そのため、脳と同じような操作のできるコンピューターを作れば、人間のようにうまく動作すると考えられたのである。しかし、心の多くの部分が「無意識」によって占められているとすれば、脳以外の身体や、身体外部の状況など、人間が生物として適応してきた環境が心の理解にはかかせないことになる。このような考え方を「心のひろがり理論」というらしい。
こうなると、「人工知能」の開発など、夢のまた夢ということになる。
それでも、最近、自動車の「自動運転」が話題になっている。
「人工知能」への挑戦は、これからも様々なかたちで続いていくのだろう。